善峯寺の歴史
長現2年(1029年)源算上人が霊地を求めて西山に入りました。山の中腹で休憩していると、老人が現れ「私ははこの地主で阿智坂と言う。この地を与えて末永く守ろう。」と言い残し消えました。
源算上人はお告げに従いお堂を建てようとしましたが岩が多く、地ならしが困難だと思い悩みました。その夜、夢の中に一人の僧が現れ、力を貸してくれると告げられたそうです。次の日の夜、猪の大群が現れ、一夜にして大岩を砕き、平地にしてくれました。源算上人はお堂を建て自ら彫った千手観音像を安置し、法華院と名付けたそうです。
その後、後一天皇によりの勅願所とされ「良峯寺」の寺号を下賜されました。
革堂(行願寺)の千手観音像を彫った霊木の余財を仁弘法師が得て、千手観音像を彫り、洛東の鷲尾寺に奉安去れました。
長久3年(1042年)後朱雀天皇が夢の中で「後世の利益の為に鷲尾寺の千手観音を良峯に移しなさい。」とお告げを受け、お告げに従い勅使を鷲尾寺に遣わしました。仁弘法師の弟子で章園上人は深く感心され勅命に従い善峯寺に遷座し、御本尊になったそうです。
江戸時代には大奥で有名な桂昌院が綱吉の出生の報恩で様々な寄進がされました。。