革堂の歴史
寛弘元年(1004年)、行円上人が夢で加茂社の槻の木を教えられ千手観世音菩薩像を彫り、一条北辺堂を復興して行願寺を建立し千手観世音菩薩像を安置されました。
子を孕んだ母鹿を射止めてしまったことを悔いた上人が常にその皮の衣を纏い、密教行者の宝冠をかぶり人々を助け、仏の道を説いてまわったことから「革聖」と呼ばれるようになりました。
行願寺は「革聖のお堂」ということで「革堂」と呼ばれるようになりました。
以後、京の町の人々の信仰で栄えましたが、度々の火災で転々と場所を移し、宝永5年(1708年)の大火の後、現在の場所に移されました。
昭和44年(1969年)天台宗で女性初の大僧正になった中島湛海尼が住職となってから西国三十三所で唯一の尼寺になりました。