六角堂の歴史
淡路島に漂着した如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子が用明天皇2年(587年)、四天王寺の建立の材木を求め京都を訪れました。聖徳太子が池の水で身を清める為に念持仏を木に掛けると動かなくなったそうです。念持仏はこの地にとどまり人々を救いたいと告げたため六角形の御堂を建て安置したそうです。
正式な寺名は頂法寺ですが御堂の形から六角堂と呼ばれています。
平安時代初期、妃を探していた嵯峨天皇が夢で如意輪観音様に「六角堂の柳の下を見てみなさい」と告げられ、六角堂に人を遣わせると境内の柳の下に一人の美しい女性が立っており、嵯峨天皇は妃に迎えました。それ以来、「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」と縁結びの柳と呼ばれるようになったそうです。
本堂前の柳に2本の柳を一つにしておみくじを結ぶことで縁結びの御利益があるそうです。
聖徳太子が身を清めたと云われる池のほとりに小野妹子を始祖とする住坊があり「池坊」と呼ばれるようになりました。代々六角堂の住職を務める池坊は、花を仏前に供える中で様々な工夫をこらしました。室町時代に「いけばな」として知られようになったことで「いけばな発祥の地」になりました。