六波羅蜜寺の歴史
天歴5年(951年)に醍醐天皇の第二皇子だった空也上人が造立した十一面観音像を本尊とする道場を開いたことから始まりました。当時は西光寺と呼ばれていたそうです。
空也上人は当時、京都に蔓延していた悪疫退散のため造立した十一面観音像を車に安置して市中を曳きまわり、小梅と昆布を入れたお茶を病者に授け、踊りながら念仏を唱え病魔を鎮めたと云われています。
応和3年(963年)名僧600名を請じ、金字大般若経を写経し夜には五大文字を灯じた大萬灯会を行って、落慶供養を盛大に営んだそうです。
空也上人の死後、中信上人によりその規模を増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えました。平安後期には平らに清盛、重盛など広大な境内に平家一門の邸館が栄え、その数5200余りになっていたそうです。
寿永2年(1183念)平家没落の兵火を受け、本堂を残して焼失したそうです。
その後、焼失、復興を繰り返し、現在の本堂は昭和44年(1969年)開創1000年を記念して解体修理が行われました。