穴太寺の歴史
慶雲2年(705年)文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされています。
穴太寺の聖観音菩薩像は「身代わり観音」として有名で、「今昔物語」にも登場します。
「今昔物語」によれば、昔、丹波国桑田郡の郡司が都の仏師に聖観音菩薩像を造って欲しいと依頼しました。出来上がった聖観音菩薩像に感銘を受けた郡司は褒美として大切にしていた名馬を与えました。
しかし後日、名馬が惜しくなった郡司は家来に命じて仏師を弓で射殺しました。ところが仏師は何事もなかったかのように生活していて、代わりに聖観音菩薩像の胸に矢が刺さっていたのです。
改心した郡司は仏道を信じるようになったそうです。
応仁の乱でかなりの被害を受け、天正3年(1575年)から始まった明智光秀による丹波攻めに巻き込まれ焼失しました。
その後、行廣上人によって再興されるが、享保13年(1728年)本堂が焼失、享保20年(1735年)に再建されました。
明治29年(1896年)、本堂の天井裏から釈迦涅槃像が発見されました。
昭和43年(1968年)御本尊の聖観音菩薩像が盗難にあい、現在も行方不明中。