施福寺の歴史
施福寺は槇尾山にある寺であることから、通称「槇尾寺」と呼ばれています。
槇尾寺は欽明天皇の時代(539~571年頃)に、行満上人によって創建されたと言われています。
その後、宝亀2年のこと、槇尾寺に住していた僧侶・法海のもとに、みすぼらしい姿の修行僧が現れ、夏安居の期間修業させて欲しいと頼まれました。
法海はその修業僧を客僧として迎え入れました。熱心に修業していたその修行僧は予定の期間が終わって辞去する際に帰りの旅費を乞いましたが、施福寺の僧達はそれを拒みました。
するとその修行僧は「この寺は見かけは立派な寺だが、真の出家者はいない。このような寺はいずれ滅び去るだろう」と言い残し去っていきました。
驚いた法海は慌てて後を追うと、その修行僧ははるか彼方の海の上を歩いていたそうです。これを見た法海は槇尾寺の僧達を戒めるために現れた観音様の化身に違いないと悟り、千手観音の像を彫り祀ったそうです。
延暦12年(793年)には20歳になった空海(弘法大師)が勤操を導師とし槇尾寺にて出家剃髪したという言い伝えもある。(現在では「総日本後期記」の空海伝により31歳出家説が定説)