岡寺の歴史
大和国高市群に子供に恵まれない夫婦がいて、観音様に子を授かるよう毎日祈りを捧げていました。すると、ある日の夜、突然赤ん坊の泣き声がして、夫婦が表に出てみると垣根の上に白い布に包まれた赤子がいました。
夫婦はその赤子を育てていましたが、噂を聞いた天智天皇が観音様の申し子だと引き取られ、岡宮で草壁王子と共に育てられ、後に義淵僧正となりました。
義淵僧正は草壁皇子と共に育った岡宮の地を与えられ、天智天皇2年(663年)、天智天皇の勅願で義淵僧正により龍蓋寺を建立されました。
創建時からの正式寺名は龍蓋寺でしたが、飛鳥の岡にある寺なので岡寺と親しみを込めて呼ばれていて、現在では宗教法人としても龍蓋寺ではなく岡寺になっています。
龍蓋寺という寺名は飛鳥の地を荒らし、民を苦しめていた悪龍を義淵僧正が法力で池の中に封じ込め、大きな石で蓋をしたことから名づけられたと云われています。
その後、悪龍は改心し善龍となり、今でも岡寺の池の中に眠っていると伝わっています。
義淵僧正は大宝3年(703年)に日本で初めて僧正の位になり、仏教界を牽引されました。門下には東大寺を開いた良弁や、聖武天皇に奈良の大仏の造立を任された行基などがいます。奈良時代の高僧と言われる人は皆、義淵僧正の教えを受けたと言われています。