中山寺の歴史
中山寺は聖徳太子創建で日本最初の観音霊場です。
第十四代の仲哀天皇の先后大中姫、その皇子である麛坂皇子、忍熊皇子の追善供養のため、もしくは蘇我馬子との政争に敗れた物部守屋の霊を鎮めるために建立されたと言われています。
「続日本記」によれば、奈良時代には高野山、比叡山に匹敵する大寺院だったと伝わっていますが、幾度もの兵火や天災に見舞われながら、源氏や豊臣家、徳川家などの有力者たちの熱心な信仰と寄進によって現在の伽藍が形成されたそうです。
徳道上人が閻魔大王に三十三観音霊場を作るようお告げを受け観音信仰を広げようとしましたが、発展することがなく、機が熟すのを待つため、ここ中山寺の石の櫃に納めました。
戦国時代には豊臣秀吉が50歳を過ぎても世継ぎが出来なかったので、中山寺で熱心に祈願したところ、秀頼を授かり子授け祈願、安産の寺としても有名になりました。
幕末には明治天皇の御生母である中山一位局が中山寺の「鐘の緒」を授かって、明治天皇を御平産されてからは日本で唯一の「明治天皇勅願所」になり、ますます安産の寺としての名声が高まりました。