本文へスキップ

宇宙(そら)のかけらは、女性専用占いサロンです。電話鑑定で癒し、メッセージを…

電話でのご予約・お問い合わせは予約ページまで

〒599-8232 大阪府堺市中区新家町777-1

第二十三番 応頂山 勝尾寺 KATUOUZI

勝尾寺の歴史

勝尾寺縁起によると神亀4年(727年)義仲と義算という双子の僧が紫雲がかかった山を見つけ、修業の為に草庵を建てました。
ある日二人は、石の上で座禅を組む一人の人物に出会いました。その人物は光仁天皇の皇子であり、仏門に入るために都を抜け出しこの山にやってきたと言いました。
双子は皇子との出会いに運命的な物を感じ、皇子を草庵に招きました。皇子は開成と名乗るようになり、三人での修業が始まりました。三人は仏道の妨げになる悪い行いを防ぐために、大般若経600巻の写経の誓いを立てました。すると突然雨が降り出し、雷が落ちました。三人は写経に必要な紙を作るため、雷の落ちた場所に楮を植え、大般若経の埋納場所に定めました。

しかし、大般若経の書写を始める直前、義仲と義算の双子は往生を遂げました。一人残った開成は改めて写経の決意を固めました。紙は用意できましたが、金字で書くための金塊と神水がありません。開成はそれらが手に入るよう天に祈りました。
七日後の夜、夢の中で八幡大菩薩が現れ「写経の為の黄金を授けよう。」とお告げを受け、目覚めると手許に金塊が置かれていました。翌日の夢には諏訪大明神が現れ「白鷺池の水を汲んできた。」とお告げを受け、目が覚めると器に清らかな水が満ちていました。
開成が写経を始めると、今度は蔵王権現が現れ「そなたの行いを守ってあげよう。」とお告げを受けました。開成は三神を祀る社を建てました。これが現在の鎮守堂だそうです。

開成の取り組みを耳にした光仁天皇は、写経の為の道場(如法堂)の建立を支援しました。
如法堂で写経を続けていたある日、鬼神が紙を捨てる夢を見ました。目が覚めると残っているはずの紙が無くなっていました。すると二羽のカラスが飛来し荒神を鎮める方法を書いた文書を落としていきました。開成がそれに従い荒神を祀ったところ、無くなった紙が戻ってきたそうです。この荒神は日本最初の荒神と言われ、仏・法・僧の三宝を守護する三宝荒神として崇められ、人々の悩みや病気を払う「祓荒神」として広く信仰を集めました。

大般若経の書写は5年の歳月をかけ宝神6年(775年)に完成しました。開成は落雷のあった場所に六角堂を建て、仏像や仏具と一緒に大般若経を奉納しました。弥勒菩薩の出現を待つことにちなんで弥勒寺と命名されました。

宝亀9年(778年)興日という修行僧がやってきて「弥勒寺の御本尊を作るために白檀を寄付したい。」と申し出ました。開成は大変喜び白檀を受け取りました。すると今度は、妙観という修行僧がやってきて「御本尊の観音像を彫りたい。」と申し出たので、白檀を渡しました。
妙観は18人の同伴者と千手観音像を彫り始め、30日かけて彫り終えました。完成した時、妙観は低頭合掌したまま亡くなっていたそうです。

天応元年(781年)、御本尊の千手観世音像をご覧になりながら開成は往生しました。それ以後、歴代の住職は開成の教えを守り、弥勒寺の興隆に尽くしました。

その後、六代目の住職だった行巡の時に清和天皇が病気を患い、病気平癒の祈祷を命じる使者が遣わされました。行巡は特別な修業中であることを理由に断りました。行巡を説得するために再度使者を派遣し、使者が「あなたの修行場は天皇の土地でもある。何故、勅命に従わないのか。」と告げました。すると行巡は地に杖を立て、その杖の上に敷物を敷き座りました。使者は「杖の先端は地に付いているではないか。」と迫ります。すると行巡はふわりと空中に浮かびあがりました。それに驚いた使者は慌てて都に戻り、天皇に報告しました。
その報告を聞いた清和天皇は、改めて使者を送り「都に来なくても良いので、修業の地から祈祷してくれまいか。」と行巡に伝えました。すると行巡は袈裟と数珠を都に飛ばしました。清和天皇は枕元に袈裟と数珠があることに気づき拝んでみると、たちまち病気が治ったそうです。
感銘を受けた清和天皇は「そなたの力は王である私の力にも勝るものである。ゆえに勝王寺の寺号を授けよう。」と行巡に伝えました。しかし行巡は「王」の字を使うことをはばかり、代わりに「尾」の字に差し替え、寺号を「勝尾寺(かつおうじ)」にしたそうです。

勝尾寺のみどころ

勝尾寺は「勝運の寺」「勝だるまの寺」として有名で、境内のいたるところに勝運祈願のミニだるまが並んでいます。
豊臣秀頼によって再建された山門をくぐるとお清め橋があります。橋にはお清めの霧がかかっていて、渡るだけで厄を落とし、身よ清めてくれます。

知恵の輪は入口から真ん中の岩を中心に渦巻き状になった石畳を時計回りに7週廻り、中心点まで歩き、今度は中心点から逆回りに石畳を入口まで戻ると、湧き出る力や良い知恵を授かることが出来ると云われています。

勝だるま奉納棚には沢山の願いが叶った勝だるまが奉納されていて、スポーツや棋士、政治家など勝負ごとに関わりのある数々の著名人も参拝されています。

勝尾寺のある箕面は関西でも随一の紅葉の名所で、紅葉の季節には一面真っ赤に染まります。またすぐ近くに箕面の滝で有名な箕面国定公園もあります。

勝尾寺の写真

























2018.8.22 参拝




御朱印:大悲殿

勝尾寺データ

  • ご詠歌
    重くとも 罪には法の 勝尾寺 ほとけを頼む 身こそやすけれ
  • 山号:応頂山
  • 宗派:真言宗
  • 開基:開成皇子
  • 御本尊:十一面千手観世音菩薩
  • 創建:神亀4年(724年)
  • 住所:〒562-8508 大阪府箕面市勝尾寺
  • 入山料:大人500円 小・中学生400円 未就学児100円 2歳以下無料  2025年現在
  • ホームページ:https://katsuo-ji-temple.or.jp/


◀第二十二札所 総持寺第二十四札所 中山寺▶

西国三十三観音霊場のトップページへ

スタッフ写真

shop info.店舗情報

女性専用占いサロン 宇宙のかけら
お客様の背中を後押しできるメッセージを…
対面鑑定を再開いたしました。

〒599-8232
大阪府堺市中区新家町777-1
TEL.072-206-4969

→アクセス

今日の占いは↓

毎日メッセージをアップしています。
Instagram

心に安らぎを…