三室戸寺の歴史
宝亀元年(770年)、光仁天皇が宮中に金色の霊光が差し込むのを見て、右少弁だった犬養に命じ霊光の源を探させました。
犬養は勅命を受け宇治川支流の志津川に沿って登っていくと、水が青く澄んでいる清淵を見つけました。
清淵に近づくと清淵の中から千手観音菩薩が出現されました。犬養が清淵に飛び込み、御仏に触れると一尺二寸の尊像に化したそうです。
都に戻った犬養は光仁天皇に事の始終を伝えると、光仁天皇は行表禅師を招き、この地に御室も移して、この尊像を安置され、御室戸寺と称されるようになりました。
光仁天皇が御室戸寺を建立以来、本尊は勅封されていましたが、延暦24年に桓武天皇により開扉され、自ら白檀の木に彫った千手観音菩薩像の胎内に本尊を納められました。
その後、創建以来、光仁、花山、白河の三帝の離宮になった事から御室戸の「御」の字を「三」に替え、三室戸と称するようになりました。