岩間寺の歴史
元々、岩間山は熊野、吉野に並ぶ日本三大霊場の一つでした。
養老6年(722年)、加賀白山を開いた奉澄大師が元正天皇の大厄の病を法力で治した褒美として建立したことから始まる元正天皇の勅願寺院です。
奉澄大師は加賀白山を開く途上、霊地を求め岩間山を訪れた時、桂の大樹から千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を彫りました。元正天皇の御念持仏をその胎内に納め、御本尊としました。
御本尊は毎晩、厨子を抜けだし、百三十六地獄を駆け巡り、岩間寺に戻られたときには汗でびっしょりになっていたので「汗かき観音」と呼ばれています。
奉澄大師が伽藍建立の際、度々落ちる雷に困り果て、法力で雷を封じ込めました。雷は大師の弟子になりたいと申し出て、大師は快く弟子に迎えました。その代わりに善男善女には雷の災いを及ぼさないことを約束させました。
このことから「雷除け観音」と呼ばれるようになりました。