今熊野観音寺の歴史
825年頃、唐から帰国された弘法大師が東寺で真言密教の秘法を修法していた時、東山山中に光明が差しているのを観ました。
不思議に思い、行ってみると白髪の老人が現れ「この山に観音様が来現されたので、ここに寺を建て観音様を祀り、民を救いなさい。」と十一面観世音菩薩像と宝印を渡されました。大師が何者かと老人に尋ねると「自分は熊野権現でこの地の守護神になるであろう。」と告げて姿を消しました。
大師はお告げのままにお堂を建立し、自ら一尺八寸の十一面観世音菩薩を彫り、授かった像を胎内に納め安置しされたのが今熊野観音寺の始まりだそうです。
その後南北朝時代に兵火に見舞われましたが足利将軍の配慮により復興され、応仁の乱でも伽藍が焼失しましたが復興しています。
江戸時代になると西国観音霊場の巡礼が益々盛んになり正徳2年(1712年)には宗恕祖元律師によって現在の本堂が建立されました。