宝厳寺の歴史
神亀元年(724年)聖武天皇が夢で天照大神から「江洲の湖中に小島がある。その島は弁財天の聖地である。寺院を建てれば国家奉平、五穀豊穣、万民豊楽になだろう。」というお告げがありました。
早速、聖武天皇は行基上人に竹生島に行って寺院を建立するよう勅命を与えました。
行基上人は本堂を建て、弁財天像を安置しました。翌年には観音堂を建立しました。後年、遺志を引き継いだ浅井家によって千手千眼観世音菩薩像を安置しました。
それ以来、天皇の行幸が続き、伝教大師、弘法大師なども来島し修業したと伝えられています。
豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、宝物が寄進されています。慶長7年には秀吉の遺命により豊国廟から、桃山時代の観音堂や唐門などを移築されています。