圓教寺の歴史
性空上人が霊地を求める旅に出て康保3年(966年)、書冩山に辿り着き草庵を建てました。それから4年が経ち天禄元年(970年)書寫山内の桜の霊木を讃嘆礼拝する人を見た性空上人が、弟子の安鎮に命じて生木の桜に如意輪観音を刻み、その崖に如意輪堂(現・摩尼殿)を建てました。
その後、寛和2年(986年)花山法皇が来山し、圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進しました。性空上人はこの寄進を元に大講堂を建立しました。
武蔵坊弁慶が一時期この書寫山で修業していたという逸話も残っていて、机などゆかりの品も公開されています。
天正6年(1578年)織田信長の命令で中国地方征伐にやってきた羽柴秀吉によって、御本尊の如意輪観音像が近江の長浜に持ち去られましたが、天正8年(1580年)如意輪観音像は長浜から戻されました。