天河大辨財天社の創建は飛鳥時代に役行者の大峯開山の際、蔵王権現に先だって分霊されて弥山の鎮守として祀られたことから始まるそうです。
また弘法大師が
高野山の開山に先だって3年間大峯山で修業をしましたが、最大の行場が天河神社であったそうで、弘法大師にまつわる遺品が奉納されているそうです。
天武天皇が戦勝を祈願し、勝利したため、本殿を寄贈されたそうです。
江戸時代までは琵琶山白飯寺という寺号でしたが、明治の廃仏毀釈で白飯寺は廃寺、天河大辨財天社となった。
昭和40年ごろから日本弁財天本宮として注目され始め、今ではスピリチュアルな世界のメッカ的存在として脚光を浴びています。