延暦寺は延暦4年(785年)最澄により比叡山の山中に草庵が建てられたことから始まります。
延暦7年(788年)に一乗止観院(後の根本中堂)を創建し、薬師如来像を彫り奉納しました。
その後、桓武天皇の援助を受け唐に渡り天台教学を学び、日本天台宗の基礎を作られました。
弘仁13年(822年)最澄が遷化され、一乗止観院は「延暦寺」の寺額を勅賜され比叡山延暦寺と呼ばれるようになりました。
その後、延暦寺は発展していき、様々な宗派の開祖たちが比叡山に学びに来たことから「日本仏教の母山」と呼ばれるようになりました。
元亀2年(1571年)、織田信長の焼き討ちにより伽藍のほぼ全てを焼失し、僧侶、学僧、上人、児童を悉く斬首、その数数千人に及んだと云われています。
その後、豊臣秀吉や徳川家康の支援により再建しました。
平成6年(1994年)にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。
高野山の弘法大師と最澄の間で経典の貸し借りを元に1200年の間、仲たがいし交流がありませんでしたが、平成21年(2009年)、比叡山延暦寺の半田孝淳座主が
高野山金剛峯寺に公式訪問し「弘法大師降誕会」に参列し、1200年ぶりの天台宗と真言宗の和解と話題になりました。